果たせなかった・・・プロゴルファーへの道


研修生初日 8月


ゴルフ場は朝、7:30に来なさいと言った。YUKIは4人で2時間そこそこで回れるんやから一人やったら、一時間もあれば充分やな〜
と安易に考えとにかく、6時にゴルフ場に行った。ゴルフ場内にある練習場で、体操、球うちして、いざ、ラウンド!
どっから回ったらいいんやろうな〜やっぱ、
女の子やから、「レディース」やな!( ^▽゜)ノ☆'と思い、赤マークから回った。

一人やから、失敗したら何球も上手くいくまで打った。そして9ホール回って上がってきたら何と、キャディさんがお掃除しているではありませんか。。。

初日から遅刻してしまった。(ノ_・。)既に8時を回っていたのだ!
YUKI、 「すみません。今日からお世話になる◯◯です。遅刻してしまいました。(ToT)すみません。」トホホホ〜キャディマスター、 「お前な〜プロになりたいんやろ?初日から遅刻してどないすんねん。明日から遅刻すんなよ!」
と、いきなり怒られてしまった。

そして、お昼過ぎたころに、「朝、お前がラウンドしてたとグリーンキーパーがゆうてたぞ。何時から回ったんや。」 
「7時過ぎてたと思います。1時間でハーフ回れると思ってたんです」 
「2時間かかるとおもっときよ」

そうやったんか。もっと早く行かなきゃ行けないと思った。



次の日

次の日、3時過ぎに起きて、コースへ。
ゴルフ場は閉まっていた。(m-_-)m 
当たり前か。。。そのゴルフ場は早朝ゴルフをパブリックコースでやってるので、夏場は日の出と共に開くが、流石に3時半では閉まってた。( ̄∇ ̄*)
仕方ないので、入口に車を止めて、体操、柔軟、腹筋と準備体操した。

バドミントン時代の体操、トレーニングをした。バドミントン時代のトレーニングはとてもキツく、後々すごく役に立った様に思う。

やっとパブリックコースの人が来た。今日遅れるといけないので先にハーフ回る。そして、
球うち、ランニングな日々が始まった。。。

家に帰ると疲れてまさしくバタンキュ〜。毎週、水、土曜日は先生のレッスン。先生のレッスン場は宝塚。
ほぼ一時間掛けて練習場に通う。
そこの練習場はすごく応援してくれて、球もただで自由に打たせてくれた。

中学、高校とバドミントンやってたので、体力には自信があったけど、短大、OL時代は何もしてなかったので、かなり筋力が落ちていた。でも若かった。毎日が楽しく、意気揚々としていた。

<先生に言われたこと>

@酒、タバコ、男 禁止!

<ゴルフ場のプロに言われたこと>

@化粧はするな。ゴルフに色気はいらん。
Aラウンドするときはフルバックから回れ。


ゴルフ場のフルバックは
コースレート73以上の難コース。球も飛ばないし、パーオン出来るホールがほとんど無い。その変わりアプローチが上手くなりつつあった。そして、バンカー。練習場にはアリソンバンカーがあり、毎日、夜になると真っ暗な中でバンカー練習した。よそから見ると真っ暗でも、ずっと練習してると、目が慣れて見えるのだ。

バンカーでは、真っ暗な中で練習してると、
火花が散る。本当に火花が散るんだ。間もなくサンドウェッジのバンスに書いてある字が消える→バンスが凹む→ネックの部分が薄くなってフェイスのスコアラインの下の方が消えて、凹み、違反クラブになってしまった。それほど練習したのだ。

両親はすぐに諦めると思ったのに、余りにヒツコイので観念し、応援してくれるようになってきた。

当時、クラブは先生が作ってくれた。幸い、先生はクラブ職人でもあった。ドライバーもアイアンも作ってくれた。
今も大事に置いてある。ボールはお客さんのロストボールを拾い、サンドウェッジも大分前の忘れ物のリンクスを貰った。メンバーさんも、私の存在に目を向けてくれるようになり、バブル時代も手伝い、「このクラブ、買ったけど使わないから上げる」等と言ってくれる人もあった。

また、無償で私を応援してくれ、本間クラブのめちゃくちゃ高いアイアンを貰ったり、ボールをくれたりした。
これがうちの親には、許せなかったらしい。人から物乞いするんじゃね〜と…〃(g>ω<)g〃

ゴルフ場にいると、人から貰う事が何でもなくなりつつあったのだ。その頃から丁重にお断りするようになった。
その頃、ゴルフ場は「山の水商売」とも言われていたらしい。ん〜分かる気がする。

両親との約束 
@1年でスコアが70台出なかったら辞める  A3年で試合にでれなかったら諦める

入門して10ヶ月たったある日、
生まれて初めての「78」が出た。しかも、パーオンなし。外からチップインしたりもした。とにかく、最初の目標は達成したのだ。



一次予選

当時、プロテストは一次予選、二次予選、三次予選から成り立つ。

一次予選は多くの区域に分かれ、その地域で2ラウンドの合計を競う。1地域で120人位受験者がいた。
すごい数の人がプロを目指し受験するのだ。

ゴルフ場によっては、予選を行い、1次予選にもでれない人が大勢いる。YUKIは支配人の好意で出させて貰えた。
男子は大勢いたので(15人くらい)予選していたが、女子は一人だったので承諾してくれた。
今は知らないが、女子はテストに出る際、女子プロ2名のサインがいる。いわゆる何かあったときの保護者だ。
先生の紹介でこれも、お願いして貰えた。

その頃まだ、
85位で回るのがやっとだった。
フルバックで回っていたせいもある。とにかくパーオンしなかったからだ。それに難しいコースでもあった。

最初の2年(1年に1回しかテストはない)は敢えなく、敗退。テストに行ったとき、男子としか回ったことない私は「女子って球が飛ばないんや。飛ばないのは私だけじゃない」 「コースの途中にあるグラスバンカーやコースセッティングに捕まる」 「ほとんどのコースのグリーンが高麗じゃなく、ベント」 「パーオン出来るヤーデージになってる」こと。
「上手い人はわんさかいる」こと。

所属していたゴルフ場は、
フルバックから7200ヤードもあり、YUKIはコースの落とし穴にはまるどころか200ヤードしか飛ばないのでフルバックからではグラスバンカーのはるか手前に落ち、セカンドショットもサイドバンカーのはるか手前に落ちていた。ミドルではセカンドはいつもフェアーウェイウッドを持ち、ショートホールも200ヤード前後あったのでフェアーウェイウッドだったのだ。

グリーンは
ベントがほとんどで、打ち慣れた芝の目を読む高麗とは違いベントはとても速く感じられた。
いい意味も悪い意味も含め練習の方法を変えた。先生にとにかく、振る!ドローを打つ事を教えられてた。

試合で3発連続のフックでOBも味わった。調子よく回ってたのに、巡回のプロに「早く回りなさい」と注意され、オナーだった私は、慌てた。ジョイントを走り、ティーグランドでは安易にティショットを打ってしまった。
「暫定球打ちます。1球目1番、暫定球2番です」そして暫定球4番まで打ち、その試合は終わってしまった。2球目があったけど、思いっきり林の中。そのホールだけで10も打ってしまったのだ。そこまでは1オーバーだったのに。。。( ̄∇ ̄*)

そう,
精神修行も足りなかったのだ。一番のダメージはフックボール(チーピン)に近い球への恐れ。
クラブが振れなくなった。。。( ̄∇ ̄*)ゞ
3回目にやっと一次予選に通った。ゴルフを始めて3年の月日が経っていた。両親との約束Aも通過した。



二次予選

そして、初めて二次予選に行くことになった。二次予選は兵庫県から西日本全部が集結し上位20人ほどが3次予選いわゆるプロテストにいけるのだ。二次予選に参加できるのは60名ほど。みんな、激戦区を突破しているのだ。と言っても、1次予選はど下手を振るい落とすようなもの。1次予選に落ちるようじゃ元々プロには最初からなれないのだ。

研修生の中でもひときわ目立って上手くないとプロにはなれないのだ。
その時の運もあるけどね。もし、プロになってもトーナメントでは無理なのだ。トーナメントは上位60名ほどしかでれないんだから。。。

でも、まだ分からなかった。
岡本綾子さんとフェアーウェイを歩くつもりだったのだ。

それに諦めるどころか
ゴルフが楽しくて仕方なかった。
そして、高麗グリーンで練習してると、試合会場がベントやゆうだけで緊張してしまう。タッチが分からない、掴めない。狭いゴルフ場で毎ショット緊張し、ベントで練習したいと思った。

渡りに船のお話が舞い込む。女性の研修生を募集している新設のゴルフ場があるので、行ってみないかと。

一人暮らしは初めてで心細かったけど、思い切って行くことを決心。
1次予選は秋に行われ、2次予選は次の年の3月から7月までの5ヶ月間で、5試合ある。
ポイント制でこれも上位20人近く、3次予選(本戦プロテスト)に進める。
85が1ポイント、72(パープレー)で14ポイントになる。

YUKIは一度も本戦に行けなかった。この2次予選で落ちてしまう。どうも、実力がないために、試合でいい成績がでなかった。5回、
平均していいスコアが出なかったのだ。

2次テストに落ちるとすぐに、1次予選の申し込みが始まる。この繰り返しで、どんどん月日が流れた。
分かっていた。もうプロにはなれないことは。。。でももう一回だけ受けてみようと、まだまだやり残してる事がある。全然頑張れてない!と自分で自分を叱咤激励し、練習した。でもまだまだ練習も足りない。

どんどん年を重ね、気持ちが焦り、悪循環を繰り返す。試合に行くとどんどん、学連から上手な人が現れる。

メンタル面も変えていこうと、いろんなことにもチャレンジした。以前は楽しかった練習が「せなあかん」と言う脅迫観念に変わる。1日も練習を怠ると不安になり、体を休めることも、気分転換も出来なかった。
実際は気分転換に遊びに行っても、いつもゴルフが頭にあり、リフレッシュできずに、今、この瞬間練習しなかったから、明日ボロボロになるんちゃうかとか、すごく
マイナス思考だった。スポーツ選手に向かない性格なんやと思う。

ここには書ききれないくらいいろんなことに挑戦した。苦悩の毎日。



そして・・・

ある2次予選に落ち、1次予選にも落ちた時、思った。
私にはもう出来ることがない。やるべきことはやった様に思う。
自分はプロにはなれない。
後悔はないかと聞かれても、プロになれなかったことが全てで、
後悔しないなんて有得ない。絶対に後悔している。

ゴルフを始めてから9年以上たっていた。いくら後悔した所でなれないものはなれないんだ。
もう、精根尽きていた。最後に1次予選に落ちた時、普段はクラブが振れるのに、全く振れなかった。

OBを怖がり、無難に打とうとしたことが、情けないショットを連発し、拾うゴルフが精一杯だった。
一球一球、それでも精一杯、戦った。自分と・・・

最初からプロに言われていた。「お前は通るかも知れんけどもし落ちるとしたら1打差で落ちる」と。

そのとおりになった。1打で落ちた。でも、たとえ1打でも、
それが私のゴルフの全てだったのだ。

下手をふるい落とす1次予選で、1打で落ちるのも全然敵わないのも同じなのだ。プロテストで1打足らなかったのとはわけが違うのだ。その程度のゴルフしか出来なかったとゆうことが初めて分かった気がした。

帰りの車の中で、自然に涙が溢れた。自責の念に駆られ、自暴自棄な自分も、いた。
負け犬な自分もいた。辛かったし、歯がゆかった。悔しかった。そして何より情けなかった。

それでも、これまで頑張れた自分もいた。諦めが付いたのだ。何かが吹っ切れたのだ。人は何と言おうと、自分で自分を見つめ、静かに現実を受け入れることが出来た。もうまだまだやれるとは思えなかった。

いくら練習場でいい球が打てて、アンダーで回れることがあっても、試合で力が出ない、力が出るどころか逆に、普段のプレーが出来ないのだ。これはどうしようもなかった。ゴルフが体に染み込まないのだ。

勝手に体が動くと言うことはなく、どんどん自信を消失していくばかりだった。回りを見るとそうゆう現象は、私にだけ起こっているのではなかった。普段はすごくうまい人なのに、私と同じように体が動かなくなり、とんでもないミスに悩まされていたのだ。

10代の頃からプロテストに出ていた人も、1次予選にも受からずに、どんどん意気消沈していく人もいた。こんなはずじゃない!私はうまいはずなのにと思っていてもこうゆう時が訪れているようだった。そうなるともう、プロになるのは難しい。と思う。

それでもずっと続けている人も沢山いる。逆にもうすぐプロになれるんちゃうか〜ってゆうような人が簡単に諦めてしまう。すごく上手いのに遊ぶのに夢中になり練習しなくなる人もいる。プロになるのは才能だけではないのだ。努力と忍耐力、精神力を兼ね備えてないと無理なのだ。と思う。

そして、私にとっては長い研修生生活の幕を閉じたのだ。。。



その後・・・


自分と争うのが嫌になった。
何かに夢中になることが怖くなった。

1年間、何もせずに過ごしたので、研修生や友達とゴルフによく行った。案外いいスコアで回れる。
失うものは何もなかった。研修生の頃は年齢から来る焦りが大きかったように思う。
あんなに振れなかったクラブが振り回せる。何と不思議。(o^ー^o)

失うものなんて最初から何もなかったのに、何かにずっと追い回されていたような気がしていたのだ。
今でも研修生の頃のことは克明に覚えている。
自分だけの大切な思い出に変わりつつある。

浅はかだった自分、甘えていた日々、楽しかったこと、辛かったこと、泣いたこと、全てが思い出になった。
元には戻れない。敗因はやはり
自分に甘えていたとゆうこと。それに尽きる。もう自分を責めるのは辞めた。
むしろ、褒めてやりたい。それでいいのだ。8(^▽^8)(8^▽^)8

これからも自分に正直に、頑張るのだ!(○´∀`○)

終わり



おまけ

おまけ@
よく今日一のショットって言うでしょ?生涯一番のスコアのことを生一と言うのだ。☆(*'-')ゞ

ある1次予選の練習ラウンド(以下錬ランという)。テストの前日必ず、錬ランがある。
その錬ランでの出来事。

いつもの仲間と回る。いつも握っている。

YUKIは出だしでOBを打ち、par4で7を打つ。まあ、錬ランやからどうでもいいのだ。でも大体の調子が分かる。みんなのスコアも参考になる。

次のホールから連続でバーディを取る。
1ラウンドで8つもバーディを取った。セカンドで構えると、ピンに飛ぶイメージしかわかない。ピンにしか飛ばないような、感じ。ベタピンが続いたのだ。

そう!
ゾーンに入っていたのだ。後にも先にもこの究極の集中状態はこの一回きりだったような気がする。

よく言う、アドレナリンとはまた違う。テンションが上がっていると、球が良く飛ぶ。
錬ランでいくら、歩測し、距離を把握していても、とんでもなく飛んでしまうことがあるのだ。
トップしたり、ラフからのノースピン状態とも違う。不思議な現象があるのだ。
長くゴルフをしていると経験したことのある人もいるんじゃないかな。

生一のスコアは69!初めて60台が出た。アンダーで回ることがあっても60台で回れたの初めてで最後になったのだ。そのとき、生一のゴルフや〜とふざけていたのがどうやら本当になってしまったようだ。

おまけAホールインワンは3回!初めてのHole In Oneは一人でラウンド中。168ヤード5番アイアン
2回目はキャディ教育でのラウンド、147ヤード7番アイアン、
3回目はテスト中。164ヤード6番アイアン
この最後のホールインワンは
「ハワイ旅行招待」が付いていた(^∇^*)/〃 



最後に、応援してくださったみなさんに、心からお礼申し上げます。
Idonoプロ、Kataokaプロ、Myohjinプロ、Horiプロ、Ichigichiプロ、Otakiプロ、Yamaha支配人、Nishino社長、My Friends、そして両親、姉妹、コロ・・・いつも支えてくれて有難うございました。


おしまい