果たせなかった・・・
初めてクラブを握ったのは、大学生のころかな?母の打ちっ放しの練習に付いていったときかな。母と姉と近くの「あじさい」なんてゆうミニゴルフに連れて行って貰ったのがコースデビューやったんかな〜
OLの時、おじさん達の薦めで会社のゴルフコンペに出ることになった。(そん時はおじさんと思ってたけど、今考えたら若かったかも…YUKIは20才、おじさん達は30才前後やったから( ̄∇ ̄*))
ま〜最初から球にはパチ〜ンと当たったような気がする。女性の打ち方特有のボヨヨ〜ンではなかった。と思う???
会社のコンペで、あちこち連れて行って貰った。すんごく楽しかったな〜もちろん、めちゃくちゃ下手やったけどね。(;^-^A
ほんで、ある日、「私の人生こんなもんちゃう!何か熱くなれることに打ち込みたい!」と思った。
今までは自分でどうこうしたいなど夢もなかった。自分が何をしたいか分からなかったのだ。
ほんで、今ゴルフが楽しいから、毎日ゴルフするにはどうしたらいいかな?と考えた!
浅はかなYUKIは思いついた。「そ〜や。プロになったら毎日出来るんちゃうか〜。プロになるにはどうしたらいいんやろう〜」
友達に相談してみた。そしたら「知り合いがプロに習ってるで〜」とのこと。そっか、まずはプロに付いて習わないとアカンな。っとことで某プロを紹介して貰うことに。
某プロは会ってくれるらしいので、指定された練習場に母のお古のダサーイ女性用の重〜いクラブを持って行った。
朝からプロの教えてる練習場に行ってみた。
プロ曰く、「7番アイアン打ってみ。」
YUKI 「はい」 「パコーン、ドタ、スカ、ゴンゴロゴ〜ン」
プロ(以下先生と言う)は、どっかに行ってしまった。
YUKIはとにかく7番アイアンを打ちまくった。お昼を食べた後、どうしたらいいのかな〜?と思ってたら、打ちたいだけ打ってもいい。と言ったので、うち続けた。
初めて沢山球打ったので、豆がいっぱい出来た。豆の下の皮も剥けた。夜になり漸く、先生のレッスンが終わったみたい。先生はとことこYUKIのそばにやってきて「よっしゃ。合格や。弟子にしたる。」と言ってくれた。
先生が見込んでくれた理由は
@7番アイアンでうち続けたこと。普通はみんな、番手を変えて打つんだって。
A一回も座らずにうち続けたこと。何と朝の9時半頃から、9時頃までお昼を除いてうち続けたщ(゚ロ゚щ。その数、1000球以上。。。
先生はその忍耐力と、根性をかってくれたらしい。
YUKIとしては、練習場で球を打つには結構お金もかかるし、打たなきゃ損!位にしか考えてなかった。とにかく、沢山球が打てて嬉しかったよ。(o^ー^o)ノ
そして、話はトントン拍子に進む。
会社を辞める準備もしなきゃならなかったけど、今まで親の敷いてくれたレールにしか乗ったことがなかったので、自分の道へまっしぐらだった。プロになれないなんて考えなかったし、まだパープレーがなんぼかも知らなかった。
先生は、知り合いがいるからと、近所のゴルフ場を紹介してくれた。先生の元で修行すると共にゴルフ場の研修生になってゴルフを勉強しなさいとのこと。ゴルフ場も快く引き受けて下さった。
そのゴルフ場は男子研修生のみで寮も完備されてたからYUKIもそこに入りたいとゆうと、女性はダメですとのこと。仕方なく家から通うことにした。会社も辞めること言って、後は両親に言うのみ。
これが一番の難関だった。両親は「そろそろ嫁に出さねば…」と考えていた。
YUKI、「プロゴルファーになる!」
両親、「はあ〜?え〜〜〜〜?(絶句・・・)普通の人はお嫁に行くのよ!」
YUKI、「マジでプロになりたいもん」
両親、「あのね、それは大変なことよ。辞めときなさいね。英才教育で小さいときからやってて、学連(学生連盟)でタイトルとかあれば別やけど、素人がちょっとやったくらいでなれるもんじゃないよ。それにもうお嫁に行く年でしょ?」
YUKI、「でも、やりたいし、もうゴルフ場とも先生とも約束したもん!」
両親、「もう知らないよ。したいなら勝手にしなさい!その変わり援助はしないから。」…
両親はYUKIがすぐに諦めると鷹をくくってたみたい。
でも、半年ほど、無視状態が続く。そしてプロゴルファー挑戦への道が拓けたのである…☆(*V∇V)
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